私はこんなに頑張っているのに、どうして周りは認めてくれないんだろう。
どうして仕事の成果に結びつかないんだろうと落ち込んでしまったことはありませんか。
それはあなたが努力をしていないからではなくて、無駄な努力をしてしまっているからかもしれません。
努力には正しい「やり方」があるのです。
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今自分がやるべきことは何なのか
以前、適応障害と診断された女性が私の部下として配属されてきたことがあります。
その彼女は新人の頃にも後輩として同じ部署にいたことがあるので、どのような性格かわかっていました。
頑張っているんです。たくさん勉強して努力もしている。だけど、それを周りが認めてくれない。
理想の自分と現実の自分の落差に悩んでしまっていたのです。
方向を見誤っている
その彼女は「今やるべきこと」がわかっていませんでした。
仕事の優先順位はその時々で変わります。先週頼まれた仕事がまだ片付いていなくても、今日頼まれた仕事の方が重要度が高ければ、そちらを優先するのは当然のこと。
しかし、無駄に頑張ってしまう人はその順位がつけられない傾向にあります。彼女もそうでした。
たしかにあなたが今頑張って調べて解決しようとしている案件は大事なんだけど、先にやるのはこっちだよ。
それがわかっていないから、仕事を頼んだ方からすると「言ったことをやっていない」ということになってしまいますし、仕事が遅いという評価にもなってしまうわけです。
しかし彼女は今目の前にある、自分が気になっている案件を解決することに全力を注いでいるので、「今やるべきこと」がわかっていませんでした。
自分ではわかっていないので、「こんなに頑張っているのに認めてもらえない」と落ち込んでしまうのです。
それは、自分がやるべきことの方向性を見誤っているということなので、誰かが教えてあげないといけないのですが、すべて自分で抱え込んでしまう傾向にあるので周りも気づきにくかったのです。
努力の量が足りない場合
方向性は間違っていなくても、量が足りない場合もあります。もっとちゃんと調べなさいよ、と思うようなことです。
もっと掘り下げて考えるとか、仕事に役立つことなら興味のない分野であっても本を読んで勉強してみるとか、努力の量を増やす方法はいくらでもあるはずです。
主観的な「努力」なんて意味がない
どのくらい努力したかというのは、ものすごく主観的な問題なのです。
自分では頑張ったつもりでも、結果が出ていなければ「努力が足りない」という評価になることだってあります。
逆に、対して努力をしていなくても必要な結果が出ていればいい場合だってあるんです。
例えば試験。どんなに努力をしたといっても、合格点をもらえなかったらだめでしょう。
もちろん、やってきたことや物事の過程、それらすべてに意味がないなんてことではないです。やったことはすべて自分の実になります。
しかし、それを「こんなにやった!」と声高に叫ぶようなことは無意味だと言っているのです。
そんな努力自慢をしている暇があったら、結果が出ない理由を考えた方がいいです。
努力には方向と量が大事
努力というのは、方向性が大事なんです。正しい方向に、正しい量の努力をした時のみ、結果が出ます。
だからもしあなたが「こんなに頑張っているのに」思ったような結果がでない時は、方向性を間違っているか、方向は合っているけれども量が足りないか、それとも両方足りないかのどれかです。
それは自分で見つけないといけません。誰かが教えてくれる場合もありますが、まずは自分で自分のやっていることを疑わないといけません。
結果が出ていないのはなぜなのか。周りに評価してもらえないのはなぜなのか。
そこで「私はこんなに頑張っているのに、認めてくれない周りが悪い」と不満ばかりいっていたら、それはあなたの方が頭の悪い人だと思われてしまいます。
すべての原因は自分にある。そう思った方が、人間は進歩します。
「原因」というと、すぐに「私のどこが悪いって言うの?」みたいに反論してくる人がいるのですが、悪いなんていってません。原因があると言っているのです。
うまくいかないことには何かしら原因があるのですから、周りを責めるよりも今自分が出来ることは何なのかを考えた方が建設的だと思いませんか。
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